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東京地方裁判所 昭和30年(行)100号 判決 1958年5月08日

原告 石瑞桐

被告 東京入国管理事務所主任審査官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

当裁判所が昭和三十年十二月九日なした執行停止決定(昭和三十年(行モ)第二五号事件)はこれを取消す。

事実

第一、原告の申立

「被告が原告に対し昭和三十年六月十一日附でなした退去強制令書の発付はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める。

第二、被告の申立

主文第一、二項同旨の判決を求める。

第三、原告の主張

一、原告は中国々籍を有する台湾人であるが、昭和二十四年四月頃連合国最高司令官の承認をうけないで本邦に人国したところ昭和三十年三月東京入国管理事務所入国審査官により外国人登録令(昭和二十二年勅令第二百七号)第十六条第一項第一号に該当すると認定されたので右認定につき特別審理官に口頭審理の請求をしたが右認定に誤りがないと判定された。そこで原告は法務大臣に対し異議の申立をしたが法務大臣より右申立が理由がないと裁決され、昭和三十年六月十一日附をもつて被告(当時の主任審査官は小黒俊太郎であつた)より退去強制令書の発付を受けた。

二、しかしながら原告が外国人登録令第十六条第一項第一号に該当する者であることは争わないが、原告には以下(一)ないし(八)のような特別の事情があり、かような場合には法務大臣は前記異議申立の裁決をなすに際して原告に在留を特別に許可すべきであつたにもかかわらず、異議申立を理由なしと裁決したことはその裁量権を濫用した違法なものというべきであり、右違法な裁決に基いてなされた被告の本件退去強制令書の発付も違法である。

(一)  原告は台湾に本籍を有し、大正十四年六月一日台湾高雄市において父石陽青、母石陳金枝の長男として生れ、八才のとき父母に伴われて大連に赴き同地において伏見台小学校、大連第一中学を卒業し終戦まで同地に居住していたもので、日本人として生れ、日本人として成育し、日本人として教育をうけ、日本人と交友し日本人として生活してきた者である。

(二)  原告は日本語のみを理解し、殆んど中国語を話すことができない。

(三)  原告は終戦とともに台湾に引揚げ台湾政権の下で親日分子として圧迫を受け不自由な生活を送つた。

(四)  原告は日本に憧れ、日本人を愛し大連在住当時の友人知己の多くが日本人であり彼等が日本に引揚げた後彼等のいる日本で生活したいと思い、日本の利益のため尽すことを希望し父母妹を本国に残し単身日本に入国した。

(五)  原告は本邦入国後大連の学校時代の学友恩師の庇護をうけ昭和二十七年松本金蔵の四女文子と結婚し、昭和三十一年十二月六日長男輝が出生した。右金蔵は東京都に居住し妻及び二男四女はいずれも健在で現に木箱製造業を営み、家族と共に通常の生活をしており、原告と文子の結婚については妻とともに心からこれに同意し原告が本邦に在住することを切望しているのであつて、原告に対し生活の指導、保護、監督の責任を充分自覚している者である。

(六)  原告は現住所において小工場を所有し、ナイロン靴下加工業を相当手広く営み従業員二、三人を使用し毎月相当の収入をあげ、独立の生計をなすに足る者である。

(七)  原告は先に密入国に関し外国人登録令違反として東京地方裁判所において懲役五ケ月(三年間刑の執行猶予)罰金一万円の判決をうけたが、すでに罰金は完納し、右以外には何ら犯罪の経歴はなく、右事件は原告の本邦不法入国に関し判決をうけたものでまことにやむをえなかつたものである。

(八)  原告は思想穏健中正であり、何ら偏向的思想に陥ることなく、身体は健康である。

三、よつて被告のなした本件退去強制令書の発付の取消を求める。

第四、被告の答弁及び主張

一、原告の主張第一項は認め、第二項は争う。但し第二項の(一)ないし(八)は、(七)の事実中の原告がその主張のような判決を受けたことを認めるほかすべて不知である。

二、原告は外国人登録令第十六条第一項第一号に該当する者であるから退去の強制を免れないものである。しかも出入国管理令第五十条の規定によつて法務大臣が在留を特別に許可するかどうかは全く法務大臣の自由裁量にまかされているものであり、且つ本件において法務大臣が原告に在留特別許可を与えなかつたことは右の裁量権の範囲内のことであり、何らの違法もない。したがつてこの法務大臣の裁決に基いて被告が原告に対しなした退去強制令書の発付は適法である。

よつて原告の請求は失当であつて棄却さるべきである。

第五、証拠<省略>

理由

一、原告の主張第一項及び原告が外国人登録令第十六条第一項第一号に該当するものであることについては当事者間に争がない。

二、ところで法務大臣に対する異議の申立の裁決をなすに際し法務大臣が在留を特別に許可するか或いは異議の申立を理由なしと裁決するかはその自由裁量にまかされているものと解すべきところ原告は本件において法務大臣が原告に対し在留を特別に許可することなく異議の申立を理由なしと裁決したことはその裁量権を濫用したものであるから違法であると主張するのでこの点につき検討する。

成立につき争のない甲第一ないし第四号証、第十ないし第十三号証、乙第一号証、証人豊住輝長の証言により成立を認める甲第六号証、当裁判所の真正に成立したものと認める甲第九号証、証人豊住輝長、同米須秀徳、同松本文子、同高橋本司、同劉命祚、同松本金蔵の各証言及び原告本人尋問の結果並びに当裁判所の東京地方検察庁に対する調査嘱託の回答を綜合すると、原告は台湾に本籍を有し、大正十四年六月一日台湾高雄市において父石陽青、毋石陳金枝の長男として出生し、八歳のとき父毋に伴われて大連に赴き同地において伏見台小学校、大連第一中学校を卒業し終戦後一時大連市立病院に勤務していたが、昭和二十三年六月頃毋と共に台湾に引揚げ知り合いの店に店員として勤めたが、中国語があまり良く話すことができなかつたし、日本に行けば大連の学校時代の友人も相当あるので何とかなるのではないかと考え、昭和二十四年四月頃日本に密入国した。その後昭和二十七年頃橋本文子と結婚し昭和三十一年十二月六日長男輝が生れ、現在ナイロン靴下加工業を営み相当の収入をあげ、平和な家庭生活を営んでいること及び原告は昭和三十年七月十二日東京地方裁判所において外国人登録令違反事件で懲役五ケ月罰金一万円の刑を受けたほかは前科はない者であることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右のように松本文子と結婚し、一子をもうけて本邦において生計をたてている原告に対し本邦から退去を強制することにより原告及びその妻子を不幸な状態に陥し入れる結果となることは容易に想像されるところであり、その点において原告らに同情すべき点があることは認められるけれども前述のように法務大臣が外国人の在留について特別の許可を与えるかどうかは自由裁量にまかされており、多分に政策的考慮が加えられるものと解すべきもので許可を申請する外国人の個人的主観的事情によつて許可を与うべきものといい難いので原告について前記認定の諸事情が存在するからといつて本件不許可が裁量権の濫用とは解されず、その他原告に退去を強制することにより原告の生存権を直に脅かすような事情が認められない本件においては法務大臣が原告に在留を特別に許可することなく原告の異議申立を理由なしと裁決したことをもつて裁量権の濫用ということはできないといわなければならない。

そうすると、法務大臣の本件裁決には原告主張のような違法はなく、被告としては法務大臣の裁決にしたがつて原告に対し退去強制令書を発付する以外に何らの裁量権もないと解すべきであるから、前記法務大臣の裁決にしたがつて被告がなした本件退去強制令書の発付は適法であるといわなければならない。

三、よつて原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 地京武人 越山安久)

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